あだかず  つれづれの記

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zoom RSS 真空管が活躍した時代 2003.5.26

<<   作成日時 : 2006/03/04 20:49   >>

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ICや トランジスターが出現するまでは、電子、通信機器のデバイスの主役は真空管でした。私がN社に入社したころは、まだ真空管(広くいえば電子管)が隆盛の時代でした。3球とか5球スーパーラジオとか、使われる真空管の本数でラジオの性能を呼んでいました。トランジスターやIC(当時は集積回路と呼んだ)が少しずつ、真空管から切り換えられようとしている時代でもありました。

 真空管と現在の主役ICとの対比は、蒸気機関車と新幹線電車との対比によく似てます。真空管 は蒸気機関車のようで、その機能、構造が視覚的に見えて、その形も芸術的な美しさがあって、肉眼では見れないミクロの世界とは違うものでした。製品の進化というものは、みんな同じようなものだと今さら感じます。

 真空管は人間のように、必要な機能、能力を育てていく過程があります。ちょっと専門的になりますが、活性化とか枯化といわれる工程 で、真空管はそうした工程を経て、成熟した製品になっていきます。しかしその工程を辿っても、残念ながら製品として適合しない(育たない)ものもあります。歩留まりと言う言葉、生き残る割合を表した数値がありました。多くのひとには懐かしい言葉でしょう。

 私は電子管(真空管)工場に勤務を命ぜられ、当初は真空管の材料を開発する部門に配属されました。電子管の心臓部にあたるカソード(陰極)という部分の材料の開発するところで、山本さんという人の下で、色々な研究テーマを与えられ、誰もやったことのない不思議な世界、未知の世界に、半分、訳も分らずに没頭しました。当時は、熱力学の計算を、手でぐるぐる廻すタイガー計算機というものでやっていました。手首が痛くなるほど、何日も何日も廻しつづけたものです。(その数年後に電卓が開発され、その数字表示素子の製品化にもいずれ携わることになったのです・・・・)

 また試作したカソードの性能を調査するために、簡単な真空管(二極管といわれるもの)を作り、自分で真空装置に取り付けて、試作真空管を完成させるために、ガラス加工という特殊な技能も身に付けることができました。二本のガラス管の先端部をバーナーで高温にして溶かして、接合し、しかもその接合部が滑らかで一見、接合されたとは思えないほどに綺麗に仕上げる、ちょっと職人の技のようなこと。その他の色々なガラス細工などなど・・・

 また、カソードに使われる基体金属の開発や改良にも関わりました。ニッケルを主体として、少量の特殊な金属を添加して、合金を作るのです。勿論、真空中で約1500℃で熔けているニッケル金属の中にその特殊金属を、あるタイミングで投入し、溶かし込んで均質な合金を作り出します。その出来上がった塊(インゴットといいます)を鍛造(大きな空気圧で作動するハンマーで叩き上げる)して、平板状にするのですが、それはまさに鍛冶屋さんといったもので、その仕事をやってくれたのは、○○さんという職人さんでした。

 その人は、もちろん社員ですが、職人と呼ぶに相応しい人でしたが、信じられないことに読み書きが殆どできない人でした。試作品の場合には、○○さんの鍛造作業には殆ど、自分が立ち会って、仕上がりを確認することにしていました。しかし若かった当時の自分は、そうした職人さんとの付き合いに、最初は随分と戸惑いましたが、やがて意気を合わせて作業を進めてもらうことが出来るようになりました。その鍛造場には神棚があって、いつも榊(さかき)が乗せてありました。いくら40年前とはいっても、大会社の中に、そうした職人がいるのには驚きました。

 もうひとつ記憶にある話で、誘導弾などに搭載される特殊な真空管の衝撃テストを、真空管の製品担当者である富松さんという方と一緒にやったことです。私は、その真空管のカソード部品の担当者としてかかわりました。真空管が発射の衝撃に耐えられるかの評価を行うもので、大きな筒に真空管を含むモジュールを装着して、それを巨大な空気銃で20メートル程先の壁をめがけて発射します。ロケットの発射実験のようで、印象に残っています。

 そして最初の上司であった山本さんは、質量分析装置の研究に没頭していました。それが40年も前のことです。確か昨年島津製作所の田中耕一さんも、タンパク質の質量分析装置の開発に貢献したことで、ノーベル化学賞を受賞されましたが、その話を聞いた時、遠い昔からそうしたことをやっていた山本さんのことを思い出しました。ガス質量分析装置というのは、磁場の中で、イオン化した分子の流れは、その質量(重さ)の大きさによって曲がる角度が異なるため、その角度によって、どんな物質かを見極めることが出来る装置なのです。

 新しい技術が次々と開発される活力のある時代で、やがて高度成長期に突き進んで行こうとするときでした。こうした技術そのものは、今ではまったく陳腐化し、単に過去の話になってしまいましたが、こうした過程を経て、現在のハイテク時代に辿りついたのでしょう。

 しかし今の時代は、高度な生産設備が次々と開発され、容易に入手出来るようになったため、基礎技術の蓄積がなくても、中国を含めアジアでもハイテク製品を容易に作れるようになっています。

・・・いつか続編があるかも・・・

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