あだかず  つれづれの記

アクセスカウンタ

zoom RSS 但馬の歌人・前田純孝 2004/12/17

<<   作成日時 : 2006/03/04 20:54   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
  
このたび、但馬の歌人・前田純孝について、但馬にお住まいのあかずきんさんから、色々と教えて頂く ことができました。この話のきっかけは元兵庫県知事であった阪本勝さんの著書「風塵の色」の「但馬路の一夜」という一章に書かれていた前田純孝のことが、なぜか気に とまったことでした。

掲示板を通じてあかずきんさんから、夭折の歌人といわれる前田純孝(1880〜1911年)の人となりを知ることとなり、但馬という見知らぬ土地に強い関心を抱くことになりました。その阪本勝さんが、昭和33年7月に訪ねた浜坂町 西浜中学校の裏山には、前田純孝の次の歌を刻んだ歌碑があり

   鶏のこゑ朗らにひびく春の日に光のどけき桃の一村

それと並んで与謝野寛の

   まごころの光れる歌をなほよめば伝へて久しわかき純孝

の歌も刻まれていたそうです。これらの歌碑の所在をあかずきんさんに、いつか確認して頂けますかとお願いしたところ、直ぐに調べてくださったのです。その西浜中学校は既に廃校になり、それらの歌碑は彼が生まれた諸寄(もろよせ)の地に移されていることが分かりました。

また純孝の名作のひとつである 次の歌碑も、彼の生まれた諸寄の海岸近くに建っているそうです。あかずきんさんには、現地に出向き写真まで撮っていただきました(右の背景写真です)

  いくとせの前の落葉の上にまた落葉かさなり落葉かさなる

与謝野鉄幹から「東の啄木、西の翠渓(純孝)」と言われるほどの実力の持ち主だったそうです。純孝は御影師範から東京高等師範に進んだ秀才で、初任地は大阪。しかしここでの激務がたたって、結核になったそうです。

妻子とも別れ、ひとり諸寄の実家に戻り治療を続けますが、そこでは、継母との凄惨な争いがあったそうです。死の影におびえながらも、純孝は生命や愛についての作品を多く残したとのことです。晩年の彼の歌には

  さびしさに障子ひらかせ眺むれば桑の枯葉をわたる夕風

  ほねを父に肉を母にと返しなばそこに残れる何物ありや

いたましく、そしてたじろぐほどの作品です。享年31歳という、若すぎる死でした。作風は少し違いますが、その生き様は石川啄木の人生と重なるところがあるように思います。

それから、今回、色々と調べて頂いた但馬のあかずきんさん、もちろんお会いしたこともない方、どんな方かはただ想像するだけですが、パソコンを通して、こんなやりとりが出来たことに感謝するばかりです。

(この話は、あだかずが若いとき!に住んでいた東京・目黒を、平成16年12月に訪ねる機会があり、当時、住まいに隣接する目黒公会堂で聞いた阪本勝さんの講演を思い出したこと から始まったものでした)



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
但馬の歌人・前田純孝 2004/12/17 あだかず  つれづれの記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる