あだかず  つれづれの記

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zoom RSS 奇跡の対面(3)・・・想いが叶う!

<<   作成日時 : 2007/05/25 18:05   >>

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こちらで荒木靖子さんの所在を確かめて、そのことを大前泰子さんに伝え、さらに泰子さんが、お兄さんに伝えたのだ。その後、佐世保の靖子さんとの対面に至る経過を綴ったお兄さんの手紙(手記)を紹介します。


平成19年2月17日

靖子さんを捜し出したのはいいが、我々が心配していたのは、今は亡き千代姉(千代乃・叔母さんをそう呼んでいた)に代って、その60数年のうらみ、つらみをどのように収めて納得させるのかと言うことでした。しかしこの靖子さんの投稿記事(奇跡の対面1で紹介)の文面から察するに、母親の肌の温もりを知らず、60年余を強く生き抜いてきた自分をも許し、自分を生んでくれた母親をも許せるほどの大きな人物に成長してくれたことに感謝します。千代姉も最後の最後まで、表に出せずに気になっていたのが佐世保の靖子さんだったと思います。

今はのきわに一目逢いたかったことだろう。それもままならず、不満を残し千代姉は地獄に落ちたのであろう。だが、それを救い上げてくれたのが、この靖子さんの「産んでくれて、ありがとう」の一言であった。お陰様で千代姉は救い出されて、今は弥勒菩薩の衣につつまれて、静かに笑顔で待っている。我々が靖子さんに逢うことは、千代姉に対して大きな供養となるのではあるまいか。だから母のふところに飛び込んで、六十年余の思いを思いっきり申し出よ・・・

母親を捜していた靖子さんは、開口一番、「どんな母親だったのか」と妹の泰子に問うたという。靖子さんは千代姉と、うり二つであって欲しいと願っている。伊勢湾台風で千代姉の写真を全部なくしました。誰か良い写真をお持ちの方は、一枚提供して欲しいと思います(注:兄弟姉妹への問いかけ) 

平成19年3月

60年の万感を胸に期して、はるばる佐世保から靖子さんが逢いにきてくれました。それは長い気の遠くなるような時間であった。まずは母親の生家を見たいということで、静香さんたちに荒船の浜口家を案内していただき、その夜は民宿で静香さんと温泉に浸りながら語りあったそうです。神戸で靖子さんの生まれた姿を知る唯一の生き証人として、二人は存分に、昔の思いに花を咲かせたことであろう。

翌日、靖子さんを母親の墓参のために、泰子に和歌山から大阪の新本願寺別院に案内してもらうことにした。途中、新大阪の地下鉄入口で私が合流した。地下鉄に乗り、本町という駅で降り、ここでもうひとりの妹の節子とも合流したのだ。この駅のすぐ前に、目指す新本願寺別院があるのだ。

別院に入り、僧侶に事の次第を説明して、お参りできるようお願いしたのですが、契約者のお祭りごと以外は、遺骨や位牌は出せないという。従って本堂でお参りすれば、それでいいのだと言われた。(中略)仕方なく、千代姉は本堂に呼ばれて来ているものと信じて、声を出して呼びかけたのである。「千代姉よ!!佐世保から立派になって逢いに来てくれましたよっ・・・わかりますかア!!」・・・と。千代姉がこの本堂に出てきてくれるかは、僧侶たちの力によるものだが、今の僧侶には、それだけの修行がされているのか疑問である。だからといって参拝者がそれを信じない限り、千代姉は現われない。だから命をかけて信じるのである。

そうこうしている中に、僧侶が三人現われて読経が始まった。それはあたかも靖子さんのお参りのためのようにも思えてきた。年忌でさえ本願寺の僧侶、三人は頼めない。靖子さんの参拝のときに、僧侶三人の読経が、母親を地獄から救い出してくれたに違いない。(母親は、表立って逢えない靖子さんのことばかりを案じ続け、地獄に落ちたというのであった)

参拝も終わり、少し時間があったので、新大阪駅でコーヒーを飲みながら、語り合った。そんなときに、靖子さんと話している妹の節子が、千代姉に似てきたことに気がついた。色の白いのも同じである。節子には独特な口調がある。自分では気がつかないが、他人を安心させて和らげる穏やかな口調である。これは学んで得られるものではない。これを靖子さんに伝えてあげたかった。
4時ころ、新幹線の改札口で笑顔で帰っていく靖子さんに、この60年をしたたかに生き抜いて来た母親としての強さと、自分で勝ち得た幸せを感じさせた。

千代姉は、尼崎の下町で、蓬莱荘という古風な旅館を経営していた寺尾さんに見染められて結婚した。神戸から戻って4〜5年後のことであった。当時はしっかりした姑がいたので、旅館業を仕込まれて相当に苦労したと思われるが、その主人が病死した。そのとき母親に連れられて葬儀に参加した記憶がある。その後、姑も亡くなり、建物も古くなったので、改造して下宿屋となった。

荒船で「尼」といえば、千代姉のことであった。だから弟の清晴兄(兄とは叔父のこと)を呼び、その子・冨ちゃん(この筆者からは姪にあたる)も下宿させて、面倒をみた。その冨ちゃんから大阪見物させるから一度、寄るように言われた。早速、尼に行って冨ちゃんに大阪の街を引きずり廻された。その夜、コタツを囲んで皆で話をしていたが、急に千代姉が黙してしまった。非常に違和感を覚えたが、今にして思えば、冨ちゃんの興じる姿に佐世保を思い出していたのだろうか(当時、靖子さんの件は知る由もなかった)

泰子も千代姉に対して、今も分らないことがあると言う。それは幼少のころ、荒船の上にある大きな畠で、全員で芋掘りの最中に、千代姉は皆に内緒で、泰子を木陰に呼んで、懐から蒸したサツマイモを出して、泰子に食べさせたという。後にも先にもその一度だけであったが、そのことに疑問を持っていたという。
今にして思えば、同じ「やすこ」であれば、佐世保の靖子とダブらせて、靖子に芋を食べさせたつもりだったのだろう。靖子が腹を空かしていないだろうかという、母親の思いだったのではと・・・妹の泰子が話してた。


以上でこの物語を閉じるが、奇跡的に対面を果たすことが出来た皆さんの、幸多きことを願うばかりである。









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