あだかず  つれづれの記

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zoom RSS 荒木靖子さんから

<<   作成日時 : 2011/07/16 10:49  

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こちらへの書き込みは久々のこと
ログインもまごまごして、ようやく入場しました。ここのBGMは気に入ってます。
うまくつけることが出来たもんです。

さて、さて毎日暑い日が続いています。
夏は暑いに決まっているとはいっても、こんな暑さは昔あったでしょうか。
滅多になかった暑さでしょう、だが今は毎日、毎日、こんな暑さです。
この暑さに動物はもとより、もの言わぬ植物もへこたれそう
ただじ〜と耐えているようです。

先々月の5月4日の日に
佐世保の荒木靖子さんが靖国神社を訪ねた翌日、大前泰子さんらと
我が家を訪ねてくれました。

事情で荒木家に養子として籍をいれて過ごしてきた
靖子さんが裁判を経て、正式に戦死した荒木泰彦氏の子として
認知された報告も兼ねてのものでした。
そこに辿り着くまでに、実に65年余の歳月がかかったわけです。

そして正式?な遺族として
昨年10月、父の戦死した南太平洋・トラック島に
慰霊の旅を果たすことができたのです。

平成22年10月18日、慰霊祭が戦死した現地で行われ
その模様が以下のように遺族会の資料に掲載されています。
------------------------------------------

8時45分から慰霊祭を開始する。全員で礼拝ののち、
荒木さんが追悼文を奉読する。「顔も知らぬ父への想い」を静かに語り焼香する。
続いて団員の熊田さんが浄土真宗の僧籍にあることから熊田さんの
読経の中、他の団員の方々が焼香を行い、
その後、海に向かい「海行かば」を合唱する。

最後にこの地で亡くなった将兵の御英霊に黙祷を捧げ
9時5分慰霊祭を終える。全員で記念写真を撮り、そばの海岸で
靖子さんはそっと花束を海岸に手向けて父上を偲んだ。

----------追悼文-----------------------------

家の誇りとしていた息子である貴方を
23歳の若さで失った優しい母の代わりとして・・・・
父さん、来ましたよ・・・・

65年間、あなたの児はあなたを求めて
夜空の星に語ってました。なぜ私を置いて逝ったの。
産まれてくる児の顔を見ることもなく。

靖国神社の一文字の靖を頂き
男児だったら靖太郎、女児だったら靖子、と名付けるよう
祖母に依頼して出かけたそうです。

産みの父、母親の顔も知らず祖父母の養女として育ち
誰にも心の中を明かすことは出来ませんでした。

でも私の父は海軍兵学校68期生で飛行機乗り
23歳の若さで戦死、佐世保海軍基地の個人墓碑を父、
祖母を母と信じ育ちました。
祖父は終戦の年20年に他界しており、父の同期生の方々が
みんなして我が子のように愛情を下さり父親のように
接して下さいました。

18歳の就職活動の折、戸籍を見
戦争がこの様な環境を生じたのだ・・・でもどう仕様もありませんでした。
佐世保の海軍基地、呉の重巡最上の碑、靖国神社と
毎年慰霊を続けています。

平成21年にやっと戸籍上の親子と認められこのトラック島に
貴方を訪ねることができました。
年を重ねてしまったけど”おとうさん”靖子はあなたの娘です。
永かったけどやっと逢えましたね。
子供のころから口ずさんでいた歌です。

「父さんは南の島で
永遠の深い眠りについたのよ
はるかの海、彼方の国を越えて私を呼んでいる
いとし我が児娘よ如何にと
雲も 風も 鳥も」

平和を求め 荒木泰彦 娘 靖子

10月18日 春島にて






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